ためらわない,迷わない

仕事を辞めた。そして自由人になった・・・。

割れ煎餅の思い出

いつものように妻と買い物に行った時、「割れせんサラダ味」を見つけたので、思わずカゴに入れた。 

妻は口には出さなかったが、「何でわざわざ割れた煎餅を?!」 という顔をしていた。

 

家に帰って、早速お茶の時間に割れた煎餅を食べながら、妻に割れ煎餅の思い出を語った。 


 その昔、祖母は静岡県駿東郡長泉町に住んでいた。


 家の前には箱根用水が流れ、裏庭からは御殿場線の軌道と富士山が見えた。

 それはそれは風光明媚な土地だが、早い話田舎だった。

 

私が小学生の頃、夏休みになると祖母の家に遊びに行っていた。

 

祖母の家は玄関から土間になっていて来客が多かった。

 

ある日、背中に大きな荷物を背負った婆さんが居間に入ってくると、祖母は一斗缶くらいの大きな缶を差し出した。

その婆さんは、おもむろに荷物を降ろすと、祖母が差し出した缶の中にザラザラザラっと何かを入れた。

祖母はその婆さんにいくらかのお金を渡してお茶を入れ、しばらく世間話をしたら帰っていった。

 

小学生の私は何が起きたのか訳が分からず、祖母に尋ねた。

 

「おばあちゃん、それ何?」

『ん?  これかい?  割れ煎餅だよ! 迷い人も食べるかい?』

 

この時、私はこれが「割れ煎餅」なるものだと始めて知った。

 

その頃、私はお菓子はお菓子屋さんで売っていて、お金を持って買いに行くものという考えしか無かったので

突然知らない婆さんが家に上がり込んで来て、大きな缶に何かをザラザラザラっと入れていく行為に驚いてしまった。

 

今となっては防犯上廃れてしまったが、米屋がお客の家の米びつにお米を入れていくサービスや、富山の薬売りのような訪問販売もあることを理解しているので違和感は減ったが、それにしてものんびりした時代だったなぁと懐かしく思った。

 

そして、こんなどうでもよい話を黙って聞いてくれる妻も人間が出来ているなぁとつくづく思う。


そんな祖母も今ではこの世に居ない。

祖母の住んでいた家も相続で手放し、Google Mapで見たら綺麗な家が建っていた。

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