コンサートホールの舞台裏④ ~チェルニー・ステファンスカの思い出~
コンサートホールの仕事には、大きく分けて貸館と主催事業があります。
貸館は興行主がホールを借りて事業を行うので、私たちホール職員は危険な行為や事故が起こらないように施設を管理する立場になります。
一方、主催事業となると、チケットの販売、もぎり、舞台装置の操作、舞台監督との打合わせなど、すべてホール職員が行うことになります。
本日は主催事業でポーランドのピアニスト、チェルニー・ステファンスカのコンサートです。
ピアノコンサートは、地域にピアノ教室が多くありますのでチケットはよく売れます。
私の知っている限りではほとんど満席でした。
だからといって職員に大入り袋は出ませんでしたが(笑)。
いつものようにスタインウェイのフルコンサートピアノを舞台に出して、音響反射板を降ろします。
ピアノの調律が終わるとリハーサルに入ります。
たまにピアニストから、ピアノの位置や照明の角度のリクエストが入るので、舞台係や照明係は舞台袖に付きっきりになります。
音響係の私が事務室に帰ると、ちょっとした事件が起きていました。
影アナが体調を崩して病院に行ったらしい・・・。
周囲の目が私に集まります。
嫌な予感が・・・。
『そういえば迷い人、高校時代放送委員会に入っていたみたいね』
『そうそう、大学でグリークラブ(男声合唱)をやっていて声もいいよね』
『影アナやってくんない?!』
嫌な予感が的中した。
影アナとは客席から姿が見えない舞台袖でアナウンスをすることです。
こんな感じ。(他の会館の写真をお借りしました)
「でも、私は音響室にいるから本番で舞台袖にいれないし・・・」
(ささやかな抵抗)
『トークバックでいいんじゃない?!』
(舞台係や照明係まで裏切る始末)
私は曖昧な返事をして音響室に逃げ込みました。
音響室はこんなところです。(他の会館の写真をお借りしました)
すると音響調整卓の上に原稿が・・・。
(こういう時は仕事が早いんだから)
もう客入りが始まっているので、これ以上抵抗は出来ません。
「あいうえいおあお~、かきくけきこかこ~」
昔懐かしい発声練習を始めました。
さて、本番!
本ベルが鳴り終わるのをきっかけに影アナを入れます。
「本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。・・・チェルニーステファンスカはポーランドの女流ピアニストで・・・それでは最後までお楽しみください。・・・まもなく開演です。」
「まもなく開演です」の部分はアドリブでしたが、原稿は噛まずに無事に読み終えました。
演奏がはじまりました。
さすがプロのピアニスト、ピアノ1台でホール全体が鳴り響いています。
お客さんの受けも上々です。
アンコールも終わり、全ての曲を弾き終えた時、ちょっとしたハプニングが起きました。
ステファンスカが最後の曲の最後の音を弾き終え、手を膝の上に置く瞬間、指が鍵盤に触れてしまいました。
「ポーン!」
僅かな音がした瞬間、客席からは笑い声と割れんばかりの拍手とスタンディングオベーションが巻き起こりました。
ステファンスカは一瞬戸惑いましたが、客席の反応が良かったので、おどけた笑顔で聴衆に受け応えていました。
翌日・・・。
昔の上司からです。
『昨日のアナウンスは迷い人君でしょ? 良かったよ! ずっとホールにいるよう進言しておくから!』
「やめてください。土日祝日が休めなくなります。」
次は消防音楽隊の〇〇さんからです。
『迷い人さん! 昨日の影アナ迷い人さんでしょ? 良かったわ~』
「えっ? 分かります?」
『そりゃ分かるわよ~ 一瞬で分かったから!』
本庁に行ったとき、顔は見たことあるけど名前は知らない職員から
『ねえねえ、ホールの職員って、あんなこともやらなきゃいけないの?』
「あんなことって何ですか?」
『ほらほらアナウンスしてたじゃない?! 私、絶対出来ない。ホールなんていきたくない!』
もう、散々な言われようでした。
あれから30年以上経った今でも、ステファンスカの名前を憶えているのは、この影アナの思い出があったからだと思います。
ちなみにこの原稿を書くにあたり、チェルニー・ステファンスカさんについて調べたところ2001年7月1日に亡くなられていました。
あらためましてご冥福をお祈りします。