迫るトリアージ
トリアージ(triage)とは、災害などが原因で急激に傷病者が発生し、医療現場が追いつかなくなった時に、傷病者の重症度に応じて治療の優先順位を決める、いわゆる『命の選別』のことである。
映画「パール・ハーバー」より
日本軍の奇襲攻撃により傷ついた米兵は、続々と診療所に集まって来る。
医師は「助かる見込みのある者だけ中に入れろ!」と叫ぶ。
非情にもイヴリン(看護師)は診療所の外で命の選別を余儀なくされる。
映画「アイ,ロボット」より
水中に沈む車の中から、ロボットは幼い少女ではなく、より生存率の高いスプーナー刑事(主人公)を助ける。
そのことでスプーナー刑事はロボットに不信感を抱く。
トリアージはあまりにも合理主義的な発想のため日本人には馴染みが少ない(馴染みたくない)が、1995年の阪神淡路大震災や2005年の福知山線脱線事故で、少しでも多くの命を救うために、日本でもそのメソッドが取り入れられた。
ご承知のとおり、新型コロナウイルスの感染拡大により、東京や大阪などの主要都市では医療崩壊が起きている。
私は直接医療現場を見たことはないが、おそらくECMOや酸素濃縮装置の取り合いが起きても不思議ではないと思う。
保健所では鳴りやまない電話を受け、軽症と思われる患者は自宅に待機させ、緊急性の高い重症患者のみを医療機関に繋いでいる。これも間接的なトリアージに他ならない。
これが患者に付けるトリアージのタッグ
黒は死亡しているか心肺蘇生をしても生存の可能性のない者。
赤は延命のため緊急措置を行う必要のある者。
黄色は多少治療が遅れても生命に危険がない者。
緑は軽微な傷病で専門医の治療を必要としない者。
として分類される。
そして治療の優先順位は赤⇒黄色⇒緑の順となる。(残念ながら黒は対象外)
理論的に考えれば確かにそのとおりなのだが、いくら医療関係者といえどもトリアージ(特に赤と黒の判別)には精神的に大きな重圧がかかる。
事実、16年前の福知山線脱線事故に対応した医師が「あの時のトリアージが本当にあれで良かったのか」と今でも心を痛めているという。
インドでは「魚のように人が死んでいく」。
魚はえら呼吸だから空中に出ると呼吸が出来ない。
口をパクパクさせながら、やがて死んでいく様子が妙に言い当てている。
火葬場も間に合わなくて、死体を空き地で荼毘に付す。
一体焼き終わるとすぐさまその場所で次の一体を焼き始める。
日本でこんなことが起きたら、国民は集団的ヒステリー状態に陥るだろう。
新型コロナウイルスもデルタ株、ラムダ株、ミュー株と変異が進み、日本でも適切な医療が追いつかない状況にある。
巷では国際的な大運動会が行われたり、密になるコンサートをやってみたり、カラオケ店の2階から飛び降りてみたり、河川敷でBBQをやってみたり、道でお酒を飲んでいる人もいる。
その陰で医療関係者が休みも取れず、自分の命を削りながら黙々と仕事をしている。
なんてシュールな光景なんだろう。
このような中で、ひとりの国民として協力できることは、外出は最小限にして家の中にじっと籠っていることだけなのだろうか。