コンサートホールの舞台裏③ ~音が飛んだ!~
明日の日本舞踊大会に合わせて舞台係は音響反射板を飛ばし、代わりに袖幕を出しています。
照明係は利用者のオーダーに合わせて雪や雨を降らせるエフェクターの調整をしています。
音響係の私は影マイク、MCマイク、エレベーターマイクをセットして2台のターンテーブルとカセットデッキ、オープンリールデッキを音響調整卓に接続します。
さて本番当日がやってきました。
※画像はイメージです。本文とは無関係です。
音の頭出しはレコードに針を乗せて音が出た瞬間にターンテーブルを止め、レコードを約30度逆に戻してスタンバイします。
この繰り返しで1日に100枚近いレコードを回しますので、日本舞踊は音響係が忙しい1日になります。
しかも日本舞踊ってお客さんが食事を楽しみながら踊りを見る文化なので、昼休み休憩はありません。
1曲が3分としてレコードをセットする時間に1分取られると、休みは1曲につき2分しか取れませんから、慣れないとまともに食事は出来ません。
慣れてきても音響調整卓での食事は厳禁ですから、後ろの方でコッペパンをかじるのが精いっぱいです。
この日も順番にレコードをかけていたら、お煎餅のようにグニャっと曲がったレコードが出てきました。
すかさず舞台係にインカムで伝えます。
「次のレコードがグニャグニャなので針が飛ぶかもしれない。音が飛んだら中断するのでMCと演者に伝えてください」
『了解しました。伝えます』
恐るおそるレコードを回しましたが、予想は的中! 音が飛んでしまいました。
仕方がないのでMCは次の演目に進みました。
しばらくすると音響調整室のドアがドンドンと叩かれました。
ドアを開けると演者の父親と思われる男性が顔を真っ赤にして
『俺の娘に恥をかかせたな! どうしてくれるんだ!』
と叫んでいます。
隣には演者と思われる若い女性が半べそをかいています。
私は曲と曲のわずかな間にその曲がったレコードを父親に見せ
「レコードがこんな曲がってしまったら針も飛びます」
と静かにいいました。
その女性に
「なんでこんなに曲がっちゃったの?」と聞くと
蚊の鳴くような声で
『レコードを車の中に置いておいたの』と言いました。
「夏場の車内は高温になりますから、レコードを置いておくと曲がりますよ」
と言いました。
すると、先程の勢いは消え、親子共々途方に暮れてしまいました。
その間、他の演目はどんどんと進んでいます。
私は憔悴しきった親子の姿を見ると気の毒になり
「師匠や他の団体に同じレコードを持っている人はいないか探して! それでも無かったら近所にレコード屋があるから・・・」
『分かりました!』
と今度は父親が返事をしました。
演目も最後の方になった頃、娘の方が来ました。
『やっぱりレコードは手に入りませんでした』
私は彼女の姿を見ました。
綺麗な衣装、かつら、草履、小道具と、相当お金が掛かっています。
今日は晴れ舞台だから、本人も家族から相当期待されていたことでしょう。
10円玉作戦とは、カートリッジの上に10円玉を貼り付けて針圧を上げることです。
カートリッジとは黄色い円の部分です。
『止めといた方がいいよ!』
『カンチレバー曲がっちゃうよ!』
案の定仲間には止められました。
『せめて1円玉じゃダメなの?』
「1円玉も5円玉も手元にない。事務所から持って来てもらったら大会が終わっちゃうから」
そんなこんなで私はカートリッジに10円玉を貼り付けました。
私がよくやる強行突破です!
曲がったレコードに針を落とすとカンチレバーは弓なりに曲がり、カートリッジ本体がレコード盤に接触しそうです。
はたして曲は最後まで流れるのか・・・。
結果!
曲は最後まで流れました。
舞踊大会は無事に終わり、次の舞台の仕込みをしていると例の彼女が現われました。
『今回は迷い人さんに助けていただきました。ありがとうございました!』
若い割にはちゃんと挨拶が出来るんだなぁと思いながら
「今度からレコードはきちんと管理しましょうね!」
といって別れました。