お伊勢参りに行ってきた! ③ ~内宮から生誕の地へ~
伊勢神宮を参拝するのに重要なことは
1 早朝に参拝する。
これ、絶対です!
まず、駐車場は神宮に近い場所から埋まってきます。私の場合8時に駐車場に着いたのですが、内宮に一番近いA1駐車場は既に90%埋まっていました。
朝、早いと参拝者も少いので、静かで清らかな気持ちで参拝が出来ます。
これが10時頃になると、中学生くらいの修学旅行の団体が奇声を上げながらそこらじゅうを掛け回ります。
その様は、まるで富士サファリパークのようです。
いや、サファリパークのライオンの方が静かです。
大人でも団体になると負けていません。気が大きくなるせいか、撮影スポットに陣取り、「何々ちゃ~ん! こっちこっち!」と仲間を呼び寄せます。
ようやく世全員そろって撮影となるのですが、これが「私のスマホでも撮って!」 「私のも!」と、延々と撮影が続きます。
ようやく撮影が終わっても他の観光客のことは気にせず、いつまでもダラダラとその場に留まり、なかなかハケてくれません。
伊勢神宮の幻想的な雰囲気がぶち壊しになるので、参拝は早朝がベストです。
2 小銭を一杯用意しておく。
伊勢神宮の中には施設(?)、お宮(?)がたくさんありますから、お賽銭がたくさん必要になります。
その都度
「○○ちゃ~ん! 小銭ある~?」とか「いいわよ! 私が出しておくから!」
などと、おもむろに財布から小銭を出しているおば様方がいますが、混雑時には後ろに列が出来て、他の参拝者の迷惑になってしまいます。
ここは予め小銭をポケットに入れておいて、さっと出すのがスマートな方法です。
それでは実際に参拝します。
ここは内宮入り口にあたる宇治橋大鳥居です。
外宮は左側通行でしたが、内宮は右側通行となっています。
早朝に参拝するとこの様に全く人がいないショットが撮れます。
宇治橋の上流に杭が建っています。
この杭は大雨が降って流木が流れてきた時に、宇治橋の橋脚を痛めないように建てられています。
杭の上にちゃんと屋根が付いているなど細かい配慮がされています。
内宮も施設(?)が多いのでガイドブックの参拝コースを参考にして歩きます。
この案内図がないと参拝漏れ(?)が起きますし、トイレの場所も確認しておくと安心して参拝を楽しめます。
見てください、この庭園。
非常に手が掛かっています。
素晴らしいですね、滅多に見られるものではありません。
途中途中に橋や鳥居があります。
内宮は右側通行なので右の端を歩きます。
鳥居の前で一礼して、帰る時も一礼してから帰ります。
そこの中学生諸君! 中央は神様が通る道だぞ!
(あくまで心の中の叫びです)
ここは五十鈴川(いすずがわ)です。
ここで手を清めます。
コロナ禍で柄杓が使えませんから丁度良いですね。
見てくださいこれ! 神楽殿です。
今でいうところのコンサートホールでしょうか。
立派です。
今から約1500年前にはクレーン車もユンボーも無いですから、日本の建築技術は素晴らしいの一言に尽きます。
これは神馬です。
シンバといってもジャングル大帝のレオの息子ではありません(笑)。
私たちは偶然にも神馬が御厩(みうまや)に入る瞬間が見れました。
馬の背中には菊の御紋の入った布が掛かっていました。
ここでは馬が驚くのでフラッシュ撮影は禁止されています。
もちろん私もフラッシュは切って撮影しています。
そこへ中学生が割り込んできてフラッシュを炊いて記念写真を撮りはじめました。
神馬は驚いて後ろの壁におでこを擦りつけています。
おい、そこの教師! 黙って見ていないで生徒を注意しろ!
(あくまで心の中の叫びです)
これから何か行事があるのでしょうか、神宮司庁の職員が準備をしています。
白い作業服に白いヘルメット。手袋も靴も白く統一されています。
作業車両も白、よく見たらカラーコーンまで白です。
徹底したこだわりです。
いよいよ内宮を後にする時が来ました。
五十鈴川に掛かる宇治橋を別のアングルから捉えてみました。
それ程信心深い方ではない私でも日本の伝統と美を感じられます。
まさに今、私は感動の時間と空間に浸っています。
ここは神宮徴古館といって伊勢神宮の歴史と伝統と文化に特化した博物館です。
天照大神と皇室の関係などを学術的に解説しています。
「お参りしたから赤福食べで帰ろう!」
なんて言わず、内宮から近いので是非行ってみてください。
伊勢神宮の歴史と伝統と文化が良く分かります。
このような施設は日本人はもとより、多くの外国の方にも知っていただきたいと思います。
何故なら
「ソメイヨシノは我が国が起源」とか「日本は我が国が発展さてせやった」とか
何の根拠もなく言い放つ不届き者が居るからです。
かの国の国民がそう思っていても世界は承知しない。
そういう姿勢が大切ですから、根拠となる証拠品は大切に保管しておくべきです。
さて、ついにミッション2、私の生誕地を探す時が来ました。
カーナビに住所を入力して、たどり着いたのがこの辺りです。
他県ナンバーの車が止まり、辺りをきょろきょろしているので、怪しい人だと思ったのかスクールガードボランティア(昔でいうところの”みどりのおばさん”)の方がこちらを見ています。
「お忙しい所、失礼いたします。私、千葉県から参りました迷い人と申します。」
久しぶりにビジネス用語を使ったので舌を噛みそうです。
事情を説明して私の生まれた住所をいうと
「それ、私の家の隣りだわ。どちら側の隣りかは分からないけど」
まるでポツンと一軒家のスタッフになった心境です。
「何か他に知ってることある?」
「私がここで生まれたのですから、その頃の両親は若い夫婦たったと思います。転勤族だったので家は借家でした。」
私が知っている知識はそれだけでした。
「家を貸していたとしたら、こっち側しかないわ~。ちょっとおじいさんに聞いてくるね」
ありがたい、伊勢の人は本当に親切だ!
しばらくして
「わかったわ。その大家さんはHTさんだっていってたわ。おじいさん知っとったわ」
私の頭の中の記憶がぐるぐると回った・・・。
「思い出しました! ここに住んでいたのは0歳~1歳頃でしたから覚えていないのですが、私が小学生の頃、両親からHTさんの名前は聞かされていたので耳に残っています。」
やっと私の記憶が繋がりました。
スクールガードボランティアの人たちが案内してくれた場所がここ。
今は、大家さんも亡くなり、その子供さんも亡くなり、お孫さんが住んでいるそうです。
「お孫さんとお会いしますか?」と尋ねられましたが
「お孫さんとは接点が無いので、ご迷惑かと思いますので遠慮させて頂きます」
と丁重にお断りした。
お孫さんは現在デザイナーをされていて、モダンな家を建てられ、車もお洒落です。
手前の石垣(青い四角)と塀の上部の瓦(赤い丸)が、ひょっとして私が生まれた時代からあった建築物なのかもしれません。
私はスクールガードボランティアの方々に丁重にお礼をいい、その場を去りました。
妻が言いました。
「パパ、良かったわね。パパが伊勢に行きたいと思った気持ちと、スクールガードボランティアさんに会えた偶然と、たまたま大家さんを知っていたおじいさんに会えた偶然がつながったね」と。
私は思わず目頭が熱くなり、涙が滲むのをこらえながら車を運転して帰路に着きました。