ためらわない,迷わない

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ラジコン談話②「テネリフェの悲劇」

ラジコンクラブの会員の中には航空事業に従事していた人が少なくない。
私は航空関係者に会うと、よく「テネリフェの悲劇」について話をする。

「テネリフェの悲劇」とは1977年にカナリア諸島の地方空港の滑走路上でジャンボジェット同士が衝突事故を起こすという大惨事だ。


KLMオランダ航空4805便とパンナム1736便は、グラン・カナリア空港 に向かっていたが、空港は爆破テロを受けたため、近くのロス・ディオス空港へダイバートするよう指示された。


ロス・ディオス空港は滑走路1本誘導路1本という小さな地方空港で、当時5機の大型旅客機が誘導路上でひしめき合っていた。

その後、グラン・カナリア空港の緊急事態が解除されたため、KLM機は管制塔の許可を得てバックトラック(滑走路を誘導路として移動すること)し、滑走路の風下の先端でUターンして離陸に備え待機していた(図右端の青い機体)。


パンナム機もKLM機の後に続いて滑走路を移動しC3出口から誘導路に入るよう管制塔から指示されたが、濃い霧のためC3出口を見過ごし、C4から誘導路に入ることを余儀なくされた(図やや左の白い機体)。


KLM機の機長は離陸許可を得たものと理解しスロットルを上げようとしたが副操縦士と航空機関士に促され管制塔に確認する。


管制官は「OK 連絡するまで待機せよ!」と無線で指示をしたが、無線の混信により「OK」の言葉だけが伝わりKLM機の機長は離陸を開始してしまった。


このやり取りを聞いていたパンナム機の機長は「ダメだ! 我々はまだ滑走路上にいる」と送信したのだが混信によりKLM機には伝わらなかった。


やがてKLM機とパンナム機は滑走路上で衝突した。
結果、KLM機の死亡者数は248名(全員死亡)、パンナム機の死亡者数は335名(生存者61名)という大惨事が起きてしまった。


いくつかのインシデントが重なると、それが重大なアクシデントに繋がる。
1 空港には濃い霧が立ち込めで、管制官、KLM機の機長、パンナム機の機長、それぞれが目視で確認できなかった。
2 ロス・ディオス空港は小さな地方空港だったため、管制官が大量の機体をさばくのに不慣れだった。
3 無線のオペレーションが煩雑になり、混信を起こし、管制官の指示がそれぞれの機長に正確に伝わらなかった。
4 KLM機の機長は副操縦士および航空機関士の助言に耳を貸さずに機体を離陸させてしまった。
などである。


私が悲惨な航空機事故の事例を取り上げるのには理由がある。
このような事故の原因の中には、ラジコン飛行機を安全に飛ばすためのヒントが隠れているからだ。 
1 人間は間違いを犯す動物である。
2 人間は自分の都合の良いように解釈する。


例えば、滑走路の端の方で飛ばしている人を見かけるが、遠慮しないでパイロット同士で声が届く位置まで寄ってきて欲しい。


なぜならパイロット同士で掛け合う「離陸!」、「着陸!」、「エンスト 緊急着陸!」、「滑走路横断します!」など重要なコール(宣言)が聞こえないと危険だからだ。


待機している者も含め、パイロット同士で意思の疎通を図ることは安全上大切なことなのだ。

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