ためらわない,迷わない

仕事を辞めた。そして自由人になった・・・。

ラジコン談話③「松井さんの言葉」

私がまだラジコン飛行機を始めたばかりの頃、晴海のモデルショーに展示されていたコルセアアクロナイツを見て一目惚れしてしまった。


その飛行機がこれ!

流線型の胴体、強目に後退角の付いた主翼、鏡面のように輝く塗装、その流麗なデザインを見て、私は脳天から電気のような衝撃が走った。


当時は角胴の高翼練習機をかろうじて飛ばしていた程度の新米だったが、このアクロナイツを飛ばすには相当な操縦技術が必要なことは、なんとなく理解していた。


当時は若かったので、臆することなくブースにいた関係者に話しかけた。
その相手が松井さんだったのだ。
「アクロナイツが飛ばせるようになるにはどうしたらいいのですか?」
「上手くなりたいんです!」
と矢継ぎ早に質問をした。
すると松井さんは大きく深呼吸をし、空を見上げて
「落とさない事だよ」と返事が返ってきた。


返事の意図が分からなくてキョトンとしていたのを察したのか、松井さんは
「大事な飛行機を落とすと、また作り直すのが大変だろ? お金もかかるし。それにせっかく調整した機体も、またゼロから調整しなければならないからね。落とさなければ、その間練習も出来るしね!」と説明してくれた。


「それでは飛行機を落とさないためにはどうしたらいいのでしょうか」と更に質問をすると、松井さんは一呼吸置いて
「自分の操縦技術に見合った飛行機を飛ばすことだよ!」と答えてくれた。


私が若かったせいか、私のストレートな質問にも嫌な顔ひとつせず笑みを浮かべながらていねいに答えてくれた。
「練習機を飛ばすことは恥ではない。むしろ操縦技術も無いのに難しい機体を飛ばして落とす方が恥ずかしい」
「自分が作った飛行機を大切にしなさい、直せるものなら出来るだけ直しなさい」
「機体を壊さないためには離陸と着陸を納得いくまで練習しなさい、上空の演技なんてそれからでいいから」


私は帰りの電車の中で、松井さんから教えて頂いたアドバイスを忘れないうちに手帳に書き綴った。


帰ってから当時のラジコン仲間にその話をしたら
「松井さんってどんな人が知ってるの?」といわれた。
松井さんは日本のラジコン業界に貢献した方で、特にF3A界には無くてはならない重鎮だということを、その時初めて知った。


そんなことも知らずに好き勝手な質問をしていた自分が恐ろしくなった・・・。


私はF3A界には入らなかったけど、それからずっと松井さんの教えを守り、機体を大切に扱い、ていねいな離着陸を心掛けるようになった。


松井勲さんは5月22日に永眠されました。
心からご冥福をお祈りいたします。

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