ためらわない,迷わない

仕事を辞めた。そして自由人になった・・・。

ロバのパン屋の思い出

私が小学生の頃、夏休みになると静岡の祖母の家に遊びに行っていた。

(前回どおり)

 

ある日、外からファンキーな(?)曲が流れてきた。


ロバのおじさん チンカラリン♪

チンカラリンロン やってくる♪

 

すると突然祖母が

「ロバのパン 買っておいで!」

といって私と兄に50円ずつ渡した。

 

当時、私の小遣いは、日に10円から20円が相場で、50円もらえたら、それはめでたい日であった。

 

とにかく私と兄はロバのパン屋を追いかけた。


 着いた場所には近所のおばさんや子どもたちが周囲を取り囲んでいた。

すると兄がいった。

「あれ、ロバか?」

「どう見ても馬にしか見えない」 と私が答えた。

「だよな 馬だよな!」 兄は自分を納得させるようにうなづいていた。

 

私はそんなことはどうでもよくて、とにかく「ロバのパン」なるものをゲットした。

 

私の小学生の頃のロバのパンのイメージはこれ 

まるで中華まんのようだが、中身は蒸しパンだった。

 

その上に赤だの緑だのゼリー状のお菓子がトッピングがされていた。 

こんな感じかな?!

 

実際にはこんなケーキカップに乗ったようなハイカラなパンでは無かったと思う。

前述の2枚の画像を足して2で割ったようなイメージだ。

 

一口食べると、ほのかな甘さが口の中に広がり、それは小宇宙をイメージさせる。
そして色鮮やかなトッピングは、まるで宇宙に瞬く星の様だった・・・。

 

あれから60年が経ち、私も前期高齢者になった。

あの時の懐かしい曲は何だろう。

出来ればもう一度聞いてみたい。

ふとした切っ掛けで、そんな欲望がふつふつと湧いてきた。

 

早速YouTubeで検索してみた。


それがこれ!


ロバのパン屋


曲名は「パン売りのロバさん

作詞 矢野亮 作曲 豊田実 歌 近藤圭子

 

曲は4分の4拍子、イントロがやたらと長い。

数えたら11小節もあった。

 

ちなみに1番の歌詞は

 

ロバのおじさん チンカラリン

チンカラリンロン やってくる

ジャムパン ロールパン

できたて やきたて いかがです

チョコレートパンも アンパンも

なんでもあります チンカラリン


 「いかかです~♪」 のところでたっぷりとリタルダント。

すぐさま、なにごとも無かったようにアテンポして「チョコレートパンも アンパンも♪」

と続くところがお洒落じゃないか!

 

しばらく聞き入っていたら頭から離れなくなった。

 

歌詞の中に

「チンカラリン」とか「チンカラリンロン」などの擬音が出て来る。

やましい大人エロいことを想像してしまいそうだが、残念ながらそれは違う。

 

じつはこの歌の歌詞は4番まであって、その謎は4番で解ける。

 

(4番)

晴れたお空に チンカラリン

チンカラリンロン 鈴が鳴る

ジャムパン ロールパン

良い子のおやつは いかがです

チョコレートパンも アンパンも

なんでもあります チンカラリン

 

という訳で、答えは鈴の音だった!

 

当初はロバが台車を引いていたのだが、体力的に負担が大きく、途中から馬に変わったそうです。


ロバのパン屋は現在でも営業していて、今は馬に変わって軽自動車が活躍しています。

割れ煎餅の思い出

いつものように妻と買い物に行った時、「割れせんサラダ味」を見つけたので、思わずカゴに入れた。 

妻は口には出さなかったが、「何でわざわざ割れた煎餅を?!」 という顔をしていた。

 

家に帰って、早速お茶の時間に割れた煎餅を食べながら、妻に割れ煎餅の思い出を語った。 


 その昔、祖母は静岡県駿東郡長泉町に住んでいた。


 家の前には箱根用水が流れ、裏庭からは御殿場線の軌道と富士山が見えた。

 それはそれは風光明媚な土地だが、早い話田舎だった。

 

私が小学生の頃、夏休みになると祖母の家に遊びに行っていた。

 

祖母の家は玄関から土間になっていて来客が多かった。

 

ある日、背中に大きな荷物を背負った婆さんが居間に入ってくると、祖母は一斗缶くらいの大きな缶を差し出した。

その婆さんは、おもむろに荷物を降ろすと、祖母が差し出した缶の中にザラザラザラっと何かを入れた。

祖母はその婆さんにいくらかのお金を渡してお茶を入れ、しばらく世間話をしたら帰っていった。

 

小学生の私は何が起きたのか訳が分からず、祖母に尋ねた。

 

「おばあちゃん、それ何?」

『ん?  これかい?  割れ煎餅だよ! 迷い人も食べるかい?』

 

この時、私はこれが「割れ煎餅」なるものだと始めて知った。

 

その頃、私はお菓子はお菓子屋さんで売っていて、お金を持って買いに行くものという考えしか無かったので

突然知らない婆さんが家に上がり込んで来て、大きな缶に何かをザラザラザラっと入れていく行為に驚いてしまった。

 

今となっては防犯上廃れてしまったが、米屋がお客の家の米びつにお米を入れていくサービスや、富山の薬売りのような訪問販売もあることを理解しているので違和感は減ったが、それにしてものんびりした時代だったなぁと懐かしく思った。

 

そして、こんなどうでもよい話を黙って聞いてくれる妻も人間が出来ているなぁとつくづく思う。


そんな祖母も今ではこの世に居ない。

祖母の住んでいた家も相続で手放し、Google Mapで見たら綺麗な家が建っていた。

山陰・山陽の旅⑤ ~倉敷美観地区~

足立美術館を出発して、私たちは倉敷美観地区に向かいました。

 

今日は最終日、岡山空港から羽田に向かうので、途中倉敷美観地区に寄るコースにしたのでしょう。

 

これが倉敷美観地区の地図です。 

倉敷川に沿って”く”の字に曲がっています。

 

中橋の下を船が通りました。 

乗客は全て外国から来た観光客でした。

私が写真を撮っていたら、観光客のひとりも船の上から写真を撮っていました。

 

こちらは倉敷アイビースクエアです。 

倉敷紡績(クラボー)の工場をホテルや文化施設に改装した複合観光施設だそうです。

 

これはなんでしょうね。

 

赤いレンガの壁に何やら芸術的な絵が描かれています。


私が「こんな所に書いちゃっていいのかなぁ?!」といったら

妻が「色のついたテープを素材にしているみたいよ」といいました。

 

大原美術館です。 

添乗員の話によると、正面にある円柱状の柱2本がギリシャのパルテノン宮殿を模したものだそうです。

 

でもって、本家本元のパルテノン宮殿というとこんな感じです。 

かなり風化してしまっていますが、歴史の重みと風格を感じさせてくれます。

 

最後に、有隣荘(ゆうりんそう)です。 

地元の実業家、大原孫三郎が家族で住むために建てた旧別邸だそうです。

 

前述の大原美術館といい、有隣荘といい、大原財閥恐るべし! という感じです。

 

いや~あるところにはあるものですね! (いえ、お金の話です)

 

 

さて、今回の山陰・山陽の旅は、私としてはめずらしく個人旅行ではなく、パッケージツアーを利用しました。

 

旅行会社が企画したツアーなので、宮島、広島平和記念公園、出雲大社、足立美術館など主要なポイントはしっかり押さえていました。

 

飛行機とバスやフェリーとの乗り継ぎもスムーズですし、昼食も待ったなしで出てきます。

 

これが個人旅行だったら、フェリーのチケットを買いに走ったり、昼食場所を見つけても待ち時間1時間以上なんてことはザラです。

 

インバウンドでの影響で、どこの観光地も混んでいるのですが、特に宮島、京都、奈良など激混みの観光地の場合は、旅行会社のパッケージツアーを利用する方が便利だと感じます。

 

「迷い人よ! 今までいってきたことと違うじゃないか!」

とお叱りを受けそうですが・・・。

 

もちろん北の大地北海道の道北、道東などはレンタカーを使って個人で旅をする方が自由で開放的です。

 

また、パッケージツアーでは見られない超レアな場所に行きたいという場合は個人旅行一択です。

 

最後に結論ですが

行きたい場所、行きたい季節によって、個人旅行とパッケージツアーを上手に使い分けるが旅の楽しみにつながるのだと思いました。