ためらわない,迷わない

仕事を辞めた。そして自由人になった・・・。

相続ドタバタ物語③ 盛り上がる通夜

母の葬儀は家族葬に決まったので、静かで小じんまりとしたものだった。
通夜の席も近い親族のみで、どこから聞きつけたのか時折近所の人がお焼香に駆けつけるくらいだ。


お坊さんの祈祷も終え、丁寧にお見送りをして、私たちは通夜振舞いの席に移った。

なにせ2人兄弟なので、この程度の規模。
最初は神妙にしていたのだが・・・。


通夜振舞いといっても家族葬なので、「振舞う」というよりは家族の「食事会」のような雰囲気になった。


テレビドラマなどでは、通夜の席で親族同士が相続の話で大揉めに揉めるシーンを見るのだが、幸か不幸か私たちの通夜はそんなことにはならなかった。


ひと口、またひと口と食事を口に運ぶ。
静かに食事を進めているが、みんな考えていることは同じだ。
(誰が最初に相続の話を切り出すのだろうか・・・。)
家族の視線が一斉に兄と私に注がれているのが痛いほど分る。


兄は漂々と食事を進めている。
私はこの静寂に耐え切れなくなって、兄にくだらないジョークを振ってみた。


「お兄さんさぁ、生前母と話をしていたら『あの子(兄)は馬鹿だよねぇ』と、よくお兄さんの悪口が出てきたよ。」というと、すかさず兄も
「迷い人のことも『あの子(私)は馬鹿だよねぇ』と、いっていたよ」という返事が返って来た。
そこで私と兄は目を合わせて大笑いしてしまった。


要するに母は、その場にいない子の悪口を言っていたのだ。


母は三女の末っ子で、結構甘やかされて育ったそうだ。
そういえば、おばあさんが
「あの娘(私の母)は、日舞やお琴などの習い事で一番お金がかかったよ」
と、いっていたのを思い出した。


それから兄と私は、生前の母親の傍若無人な振る舞い(?)を語りながら、爆笑の連続となった。
昔、自分の姉妹に喧嘩を売った話、近所の人と揉め事を起こした話、怒って何度もヘルパーを代えた話など自由奔放な生き方をしていた母のことが、今では笑いのネタになっている。


話は何時間も延々と続き、声の大きさは留まることを知らない。
それどころか声は益々大きくなる一方である。

たぶん、こんな雰囲気になってしまったのではないかと思う・・・。
(コロナ禍以前の話、あくまでイメージです。)


私はふと我に返って葬儀社の職員に尋ねた。
「他の方のご迷惑になりませんか」
『本日は一件だけなので大丈夫ですよ』
「大声を出してすみません」
『明るいお通夜でよろしいんじゃないですか』
と笑顔で応えてくれた。


とはいえ私たちの席から5mくらい離れている所に仏様になろうとしている母親の姿があるというのに・・・まったく不届千万な息子たちである。


そんな訳で、期待していた(?)相続の話は持ち越しになってしまったけれども、何とも明るく愉快な(失礼!)通夜になってしまった。


人間の細胞は機能が完全に停止するまで、ある程度の時間がかかるという。


耳と脳は近いから、もしかして私たちの言葉は母親に届いていたのかも知れない。
母はそれを自覚していても返事が出来なかっただけなのかも知れない。


母はきっと
まったく我が家の息子たちは、私が黙っていると思って言いたい放題いいおって!
と感じていたに違いない。

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