ためらわない,迷わない

仕事を辞めた。そして自由人になった・・・。

思い出の車③ ソアラ2000VR

兄が結婚して実家を出て、私も社会人になって少し貯金が出来た。


そろそろ自分だけのパーソナルカーが欲しくなり、セリカXXなどを候補に入れていたが、スタイルは良いのだけれど室内が狭そうで今一つ指触が湧かなかった。


そんな時、昭和56年に発表されたソアラを見て一目惚れしてしまった。


昭和の国産車というと日産はセドリック・グロリア、トヨタではクラウンあたりが高級車とされていた。
そんな中、ユーザーから「日本のメーカーにもベンツやBMWに対抗できる高級車を作って欲しい!」という要望が高まった。


当時の自動車業界は排ガス規制で元気が無かったが、そんな時に新開発のツインカム2800cc 5M-GEUエンジンを引っさげて登場したトヨタソアラは、あまりにも衝撃的だった。


私は2800ccは買えなかったが、なけなしの貯金をはたいて2000VRを新車で購入した。


昭和56年に発売開始された初代ソアラ

運輸省の許認可の関係でフェンダーミラーを装着していたが、多くのユーザーはドアミラーに変えていた。


長距離高速走行時の快適性も重要視され、ボンネットの先端を下げてウェッジシェイプ(くさび型)を効かせ、空力的に有利なデザインになった。

後部座席にシェイド(日除け)を取り付けるなど、ベンツSLCの影響を感じさせる。


これが当時流行ったデジタルディスプレイ。

スピードメーターはデジタル表示、タコメーターはトルクカーブのような曲線上をLEDが流れる。
何故かオドメーターとトリップメーターはアナログのままだった。


こちらは2800cc最上級グレードのソアラ。

ツートンカラーのボディは渋く、シートも超豪華。


トヨタはこの車を40~50代の日本の経済を支える年齢層のユーザーをターゲットとしていたそうだが、蓋を開けたら20~30代の層にも売れまくった。


車は移動の道具ではあるが、トヨタはそれに夢という付加価値を与えたことから、ソアラはカーマニアから熱狂的な注目を浴びた。


ソアラはハイソカーとかデートカーと呼ばれ、私も若気の至りでソアラに乗り、足繫くテニスコートに通ったが、女性にモテるような事はなかった(笑)。
むしろ妬まれて、ボディーをコインで傷付けられることもあった。


この車を10年くらい乗った時、酒々井町のGSのある急なカーブで、対向車がスリップしてセンターラインを越え、私のソアラと正面衝突をしてしまった。


エンジンルームは潰れたがキャビンは原型を留め、ソアラは私の身体を守ってくれた。
ちなみに加害者の車は大破した。


相手はこともあろうに弁済能力のない人だったので何を言っても埒が明かなかった。
今だったら弁護士特約制度があるので事情は変わっていたかも知れない。


私はこの事で
1 いくら良い車に乗っても人生は変わらない
2 いくら車に愛情を注いでも、車は一瞬で鉄クズになる。
3 自分と同乗者の身体のことを考えたら、大きい車に乗るべきだ。
ということを学んだ。


私の人生の中で、車を新車で購入したのは、後にも先にもソアラ1台だけだった。

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