思い出のバイク② GT50
正しくはヤマハミニトレールGT50
オフロード車とかオンロード車という区分けがはっきりしていなかった昭和の頃、ヤマハはオフロード車を「トレール」という名称で売り出した。
私がまだ高校生だった頃、原動機付自転車の免許を取って初めて購入した思い出のバイク。
当時はお金が無かったから、友人から中古車を3万円で譲り受けた。
前進4速、すべてかき上げ。トップギアでフルスロットルにしても60Km/h以上出ない。
もっとも原付の法定速度が30Km/hだから「それ以上出てどうする?!」と正論を言われるとグウの音も出ない(笑)。
タイヤはキャラメルタイヤ(ブロックパターン)、マフラーはアップマフラー、前輪にはセリアーニタイプのサスペンションを装備するなど、原付であってもオフロードバイクとしてそれなりに力を入れたバイクだった。
2サイクルエンジンだったのでガソリンにオイルを20対1の割合で混合する。
ただし自分で混合する必要はなく、サイドにオイルタンクがあるので、そこにヤマハオートルーブオイルを入れておけば、バイクが勝手に混合してくれる。
オートループオイルが切れると、何処を走っていてもエンジンは容赦なく止まるから注意が必要だ。
当時、お金のない私はヤマハのオイルよりスズキのオイルの方が安かったので、そちらを使っていたらマフラーが目詰まりを起こし、マフラーを分解して芯をバーナーで炙るなどということもあった。
また、しばらく乗るとプラグが煤けてエンジンがかからなくなる。そうなるとプラグを外してウエスできれいに拭き、金ブラシでカーボンを落とす作業が必要だった。
それでもこのGT50が可愛くて仕方がなかったので、何処へでも乗っていった。
しばらくするとTシャツの背中にポツポツと黒い点が付いた。その後、点の数が次第に増えていき、私のすべてのTシャツに拡散した。
後でGT50の排ガスだということが分かって、マフラーをゴムのガス管で20cm延長したが、黒い点は減るものの抜本的に解決にはならなかった。
このGT50、いろいろと手間のかかるバイクであったけど、私がバイクのメンテナンスを学ぶ良いきっかけになった。
3年くらい乗っただろうか、別の友人が「売って欲しい」というので、買値と同じ3万円で売ってしまった。
「おぬしも悪よのう!」(笑)。